なぜか無視された人々の意志
パウロ チポラより
まず始めに申し上げるべきは、国民の日が設けられたもともとの考えです。これは脊髄損傷を持つ人々により、もう一度歩く可能性について誠実な要望があったことから生まれました。
彼らが再び歩けるようになるためには、研究者を支持することが唯一の方法である事は明らかです。そして実用的な方法として、イタリアの研究機関へ経済的支援をし、脊髄損傷による麻痺について確かな情報の啓蒙をする事が挙げられます。こういった理由により、脊髄損傷の治癒促進のため国民の日が設けられ、これはその他の難病にも適応されています。
これを遂行するために、ツッティンピエディ(皆立ち上がろう)の会が2004年に設立されました。
ツッティンピエディの会はイタリア国内で2万人の自発的に入会した会員を伴い2004年に創設されました。(明記するべき点として、この会への会費の集金は、必要以上に集まったため一時停止されました。)
ツッティンピエディの会の役員は、脊髄損傷の治癒方法を見つけるべく問題解決を定義するための人々の意志を代表していました。事実、ツッティンピエディの会の第一の目的は、脊髄損傷の研究のための国民の日設立でした。
このように評判の良いキャンペーンに直面したFAIP(イタリア対麻痺協会)は、それまで奇妙に様子を見ていたのですが、そのうちこの現象を無視できなくなり、支持することに決めました。
2008年、ついに国民の日が設立されました、しかしながら、
イ)ツッティンピエディの会の評価のあった意志は、もともと脊髄損傷研究のための国民の日を設けることでした。
ロ)FAIPの設立した国民の日は、脊髄損傷を持つ人のための日として設立され、研究の文字や、この評価の高かった意志に対する人々の心や魂は、省かれてしまいました。
結果として、2011年の今日、イタリアにおける脊髄損傷の医療研究は見捨てられ、国民の日創立によって変化を信じていた人々は、彼らの期待が完全に無視されたと日々感じています。
2011年4月4日、私達の多くが思うことは;
- 4周年のこの日、ニュースやテレビ放映など、脊髄損傷者のための国民の日を取り上げるメディアは全くありませんでした。
- この国民の日に関連したイベントで、骨髄損傷治癒の研究を議題として挙げたところは皆無で、スケジュールとして含まれた形跡さえもありませんでした。
例えばミラノでは、ニグアルダ病院脊髄部門で開かれた講義の題名は:
「体に障害を持つ人の人権について国連の基準:自立文化を広げるための第一歩」
研究の議題も省かれ、脊髄研究のための国民の日設立を希望していた2万人以上の人々の思いが無視されて落胆したと私は抗議しました。
このちょっとした抗議により、私は人々から「脊髄損傷後、社会に再適応できない人の例」などというレッテルを貼られたのです。
正直、そんな事は私は気にしてはおりません。
ただ、こういう落胆を私と共有したい方がいらっしゃいましたら、是非私までご連絡ください。メイルアドレスは:paolo.cipolla(@)yahoo.it
ひょっとしたら近い将来、この日を脊髄損傷者が思っていた当初の考えへと再検討するチャンスがやってくるかもしれません。「脊髄損傷治癒の研究のための日」として。
Translator: Kawazu Kazuyo
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