あなたを不快にするすばらしいニュース。

www.StemCellsandAtomBombs.blogspot.com 2010年7月16日Such great news that it will sicken you

「そしてどうやってあなたの目は開いたの?」人々は尋ねた。男は答えた。「ジーザスと呼ばれている男が泥を作り、それを私の両目に入れた。私はシロアムへ行って目を洗うように言われ、そうすると目は見えるようになったのです」

人々は奇跡を祈り続けるのに疲れています。モデナ大学・再生医学センター(伊)に所属するグラツィエラ ・ペジェグリーニは否定していますが、イタリアでは奇跡のようなものはもうすでに起きています。ペジェグリーニはこう報告します。「奇跡だという人もいます。しかしこれは奇跡などではなく、技術なのです

彼女は正しい。それは医療技術ですが、107人中82人(60年間ずっと目が見えなかった男性も含む)が視力を完全に回復し、14人が部分的な成功を収めたと報告されています。これは奇跡的としか言いようがありません。

たとえ一時間だとしても目が見えなくなったと想像してください。そして簡単な手術で視力が回復したとします。あなたはそれをなんと呼ぶでしょう。信じる人もいれば信じない人もいますが、この方法が一般に普及するまで人々は祈るよりほかにすべはありませんでした。そしていまではどうでしょう?
私が最初にこの話を読んだとき、そこには「新発見」と見出しがついていて、私はまずそれがいつ起こったのか知りたいと思いました(正しくは、私が最初に思い浮かべたのは、別なねずみの話でした。この話が人間について書かれたものだと気づいたときには、もう少しでいすから落ちるところでした)。それが起きたのは今日なのか? 昨日か? それとも先週だろうか? 私にとって新発見とは、新聞の新しいニュースとして掲載されるような、新しく起こったばかりの何かのことを言いうのです。

この研究または実験(またはあなたが呼びたいように呼んでかまいませんが)は1998年から2007年にかけて行われました。私は最初の9年間はテスト段階の時期だと思っていましたが、それは違っていました。残りの文章を読んでみると、一人の患者は視力を取り戻してから10年は経過していると、はっきりと記述されていました。「原爆・新開発」という新聞の見出しを想像してください。そしてその日付をみると1945年という昔だということに気づくのです。

それならばどうして現在、わたしは二人の盲人とこうして病院にいるのでしょうか。近いうちに新しい角膜が手に入る見込みのない彼らは一生懸命祈ったほうがいいのでしょうね。

そして私は別なことに気づきました。その電信の記事には「関連ニュース」という欄があり、読んでみると「失明はコンタクトレンズの中で培養される幹細胞で治すことができる」と書かれていました。なぜこの記事は同じことについて書かれているのに別々にされていたのでしょうか。いや、話としては別なのです。基本的に方法は同じかもしれませんが、オーストラリアで2009年に実行されています。読みながら私は胃のあたりがむかつくような感じを覚えました。

なぜオーストラリアとイタリアの科学者たち、電信や新聞は新発見について語るのでしょうか。現在失明している人たちにとってこのニュースはまったく新しいものではありません。失明は治癒されてきましたが、この二人の盲人はこのニュースを知らず、祈りのために使うロザリオ(カトリックの数珠)は磨り減っていく一方です。

もしもその技術が手に入らないとするのなら、それはよほど複雑なものなはずだと私は考えましたが、「そうでもない」というのがオーストラリアの研究者からの答えでした。さらに「非常にシンプルで安上がり」であると。彼らはいかにその方法が美しいほどシンプルであるかを話し続けました。「大きな手術も必要ではない。このような病気を発展途上国で行うとすれば必要なのは外科医と細胞を培養するラボだ。高価な機器はまったく必要ではない」

この技術はどこで実施されているのでしょうか。もしもこれが発展途上国で行うことができるのだったなら、社会主義国で、先進国で、つまりはどこでも可能なはずなのに、現実問題としてどうしてそうなってはいないのでしょうか?

これがオーストラリアで3人、イタリアで106人の結果を出しただけで停止している、単なる科学のための科学的な研究でないことを望みます。

イタリアとオーストラリアの組織に連絡を取って、このセラピーやリサーチのステータスがどうなっているのかを調べた後で、またブログを更新しようと思います。判断を下してしまうにはまだ早い段階でありますが、私の胃のむかつきがいまだに消えてくれないということはここで白状しておきます。

追伸。先週あたり私が更新しなかったのはどうしてか訊いてくれた人すべてにお礼を申し上げます。パソコンがクラッシュしてしまい、1週間ほどインターネットが使えなかったのです。さらに不運だったことには、これから載せるはずだった私のリサーチの多くも消えてしまいました。しかし、ゆっくりではありますがロスを取り返してきており、これからは週に1つか2つ掲載できると思っています。

M病院の皆様にこのブログをささげる!心から感謝しています、有難う御座いました。

今日【2010年9月16日】、幹細胞&原爆ブログwww.Kansaibo-Genbaku.blogspot.comの日本語バージョンが開始します。

私の退院日なので、1年間にわたって私を支えてくれたM病院のみなさんにこのブログをささげる。

M病院のみなさん、心の底から感謝の気持ちを伝えたいと思います。本当はみなさん一人一人に直接お礼を言えるといいのですが、言葉を伝えようとすると、涙があふれて言葉が出ないだろうから、きっとみなさんはいつまで待っても私の口から「ありがとう」が聞けないと思います。

私が病院にいた間、みなさんに幹細胞についてたくさんお話したと思います。みなさんにこのブログを読んでもらえることを願っています。ブログは定期的に更新されます。みなさんが私のブログを読んでくださっていることがわかれば、どんなにうれしいでしょう。ブログを通して、きっとみなさんと連絡を取り続けることができると思います。サイトによる最新情報を受信する登録をしてもらえれば、連絡を取り合うことがより確実になると思います。

心から感謝しています、ありがとうございました

Kalo Asmi Loka-ksaya-krit Pravardho, Lokan Samartum iha Pravattah

聞いたことありますか?
Kalo Asmi Loka-ksaya-krit Pravardho, Lokan Samartum iha Pravattah

これはヒンズー教の聖典の一節で、日本語では「我は死なり、世界の破壊者なり。」と訳されます。

どんな有名人がこれを言ったと思いますか?ロバート・オッペンハイマー。

oppenheimer's aria :: ryuichi sakamoto最初の核兵器を開発した第二次世界大戦のプロジェクト、マンハッタン計画を主導した物理学者です。

彼はたまに「原爆の父」と呼ばれることもありますが、「Kalo Asmi Loka-ksaya-krit Pravardho, Lokan Samartum iha Pravattah」という彼が引用した言葉を聞いて以来、私はいったい彼が「原爆の父」という肩書を誇りに思ったかどうか疑問に思っています。

。。。ここでやっと原爆についてお話しすることにします。

何か破壊的なものを生み出すために科学者へ資産を提供する時、たとえそれが原爆のような世界初のものであっても、多くの人々が飛び上がって喜ぶわけではありません。

ロバート・オッペンハイマーの原爆に対する行動とコメントは、まったく矛盾したものでした。
正しいことだったのだろか?必要悪だったのだろうか?オッペンハイマーが公にした声明からは、彼が何を考えていたのかはっきりとわかりませんが、1945年7月16日、アラモゴルド近くで行われた最初の核爆発実験の後、オッペンハイマーの考えは明らかでした。「我は死なり、世界の破壊者なり。」

オッペンハイマーは1945年7月16日に周囲の人たちがどう思ったかについても述べています。「世界中がみなそれぞれ違う意見を持つであろうことはわかっていた。笑う者もいれば、泣く者もいた。そして多くの者は黙り込んでいた。」

オッペンハイマーは1965年のインタビューでも当時のことを語っています。彼の顔に喜びの様子はありません。

世界初の出来事を見届けたことに喜びがないのです。インタビューで彼は目をこすっているように見えますが、私は、彼は泣いていたのだろうか、とさえ感じます。

このことを、ハンス・キーステッドの声と顔に表れる真の喜びと比較してみましょう。彼は自分の発表があまりにもうれしくて、カメラ前で歓喜の思いを叫ぶまいと必死で努力している様子がわかるほどです。

ハンス・キーステッドについて読んで、彼の顔に表れる純粋な喜びが何なのかを見て下さい。ところで、ハンス・キーステッドって、いったい誰なんでしょう?何をした人でしょう?何がそんなに喜ばしいのでしょう?まずはYouTubeを見てください

(幹細胞と何か関係があるんだろうとお気づきでしょうね。)彼の発表を見た後で、20年後にこの出来事を思い出しながら受けるインタビューで「目をこすっている彼」を想像することは難しいでしょう。彼はこの出来事を20年間どのように覚えているでしょうか?

オッペンハイマー自身の言葉を引用するかもしれません。

「世界中がみな違う意見を持つであろうことはわかっていた。笑う者もいれば、泣く者もいた。そして多くの者は黙り込んでいた。」でも彼はそこで止めるでしょう。彼は、自分自身を「世界の破壊者なり。」とは呼ばないでしょう。


違いがわかりますよね。


幹細胞と原爆の違い。


この2つ、ともに世界初のもの。でも、それらを可能にした人間の反応が全く異なる2つのものです。 

原子爆弾について話す前に。。。

すでにメールを数通、コメントも1件もらいました。

もちろんメッセージは全部私の友達からで、みんなのサポートに感謝してます。

ちょっと気になったメールが一つあったので、今日のブログの記事にしようと思いました。

そのメールをくれた人は、なぜ私が幹細胞の躍進する研究を批評しようとするのか、と不思議がっていました。

このブログのポイントは、幹細胞の分野で研究している人々(あるいは企業や財団)を批評することではないんです。

彼らなしでは、人間にとって有益な幹細胞の利用に関する発見はありえなかったことでしょう。
私がこのブログで書こうとしていることは、さらなる幹細胞の研究を求めて、行政がまだ考案していない取組みがあるという事実を伝えることなのです。

今日の短い記事から、幹細胞の研究や脊髄傷害について読む、(あるいは考える)背景を理解してもらえたでしょうか。

幹細胞と原子爆弾 – いったい何のこと?


「幹細胞と原子爆弾がいったいどんな関係を持つって言うの?」って思ってることでしょうね。
私は、プロフィールからおわかりのように、対麻痺患者になって、もう約1年間病院生活をしています。

で、ご想像の通り、対麻痺患者になったことで幹細胞の研究に興味を持つようになりました。幹細胞について毎日何か読んでいます。

あらゆる最新ニュース、幹細胞に限らず脊髄傷害についての新しい研究についても読んでます。
ただ問題は、何か大発見を期待しながら病室で横になっていても、早期大発見が起こるなんてことはないってことです。

そこで私は考えました。。。

私は労働組合のオーガナイザなんです。人々をグ組合に集めて、人生を豊かにできるようサポートすることが私の仕事です。でもいざ自分自身の健康に問題が起こると、私はただ座って他の人が何をしたかを読んでいるだけ。私自身は何もしてないんです。


そこで自分自身に言いました、「何か自分が得意なことをしようじゃないか、人々を集めて助け合い、他の人のために何かしようじゃないか!」というわけで、それがこのブログの目的とするところです。

まだ具体的には思案中ですが、ある程度のアイデアは持っています。
それはまた後ほど。おっと、ちょっと待って!


まだ最初の質問に答えてませんでした。

幹細胞と原子爆弾がいったいどんな関係を持つのか?

それは次回、お答えします。