From 24 April 2011 StemCells&AtomBombs: "The International Association for the Advancement of Creative Maladjustment"
労働組合員であり、社会主義者の私にとって、以下に挙げるマーティン・ルーサー・クング牧師の言葉は常に心に響きます。
「私は決して自分自身を分離と差別に適応するつもりはありません。私は宗教的偏見に適応された人間になるつもりは決してありません。私は決して必需品を多くの人から取り上げ、贅沢品を少数に差し出すような経済的状況へと自身を適合させるような人間になるつもりはありません。私は決して軍事主義の狂気や身体的暴力による自己敗北へ自身を適応させるつもりはありません。」- Martin Luther King
さて、新米対麻痺となった今、次の言葉が更に心に響きます。
これを長いこと聞いた後、投稿した二つのブログ投稿を思い出しました。
一つは、脊髄損傷グループセラピーでの私とカウンセラーとの想像上の会話です。
デニス:私は、この社会に適応することに興味はありません。そうするくらいなら、治癒のために戦いたいです。別に治癒が欲しいだけじゃないんです。なぜなら絶対可能だと思うからです。
カウンセラー:貴方を友人として言うけれど、そうなると貴方は不適応でグループで不合格を取ることになるわ。
もう一つは、ある友人からのブログ投稿です。彼は「脊髄損傷をしてから社会に溶け込めなくなった人の一例」というレッテルを貼られたのです。つまり、彼も不適応と言われたのです。
動物研究や医薬試験などで麻痺治癒に素晴らしい成果がでている2011年の現代、人々が未だに身体麻痺に自身を適応させなくてはならないというのは正しい事なのでしょうか?実際のところ、適応させなくてはいけないという考え方は、治癒の進展を止めていると思います。
これまで、この研究のために携わったり、バリアフリーの環境作りや雇用の面で努力してくれた人々の貢献には本当に感謝しています。しかしながら2011年の現在でも、麻痺は自分自身を適応させなくてはいけないものなどという概念を持ち続けていたら、治癒は遠のくだけです。
素晴らしい人生を椅子で転がる「幸せなローラー」のイメージは神話です。
車椅子で大成しているビジネスマンやキャリアウーマンの影には、無数の車椅子の失業者が存在します。2002年の調査によると、アメリカにおける脊髄損傷者の63%が失業者という実態があります。こういうわけで、私は決して自分自身を適応させたいと思いません。
車椅子で自立して生活している幸せな人々の影には、数多くの自殺もあります。脊髄損傷のコミュニティにおける自殺率は、健常者のそれより5倍高いと言われています。これも私は絶対に適応したくありません。
車椅子によって長期生活をしている人々の中には、脊髄損傷の起因による合併症で若くして命を落とす人が数千人もいます。2009年の研究によると、未だ脊髄損傷を持たない人々よりも寿命は若干短いといわれています。私は他の人よりも短い寿命に自分を合わせるつもりはありません。
車椅子でコミュニティに最大限関わり楽しんでいる人の影には、数え切れない人数の車椅子の人が、貧困、痛みを理由にまたはスロープ設置は無意味だと言って家に閉じこもる人がいます。これに対しても、私は決して合わせるつもりはありません。
治癒への希望をあきらめる事を拒否する事は、証拠が示すように、不適応というレッテルを張られる事になります。そういう事であれば、私も不適応であると認めますし、「創造的不適応の進展のための国際協会」の警鐘に敬意を表します。
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