私の発した言葉の中で、もっとも頼りない一言だとは思いますが、これが私が出来る最大の約束事です。
これまで何年もの間、私はこのブログに、特に啓蒙活動に置いて、多くのエネルギーを費やしてきました。そして私は決してその努力を無駄にしたくはありません。
このブログを最初に始めたのは、当初怪我をした部分のクモ膜下嚢胞での2度目の手術の後、リハビリセンターにいた頃でした。結果的に初めて1年入院生活をしました。
その後、脊髄空洞症の手術と共に、3か月のリハビリを要しました。またその後は床ずれのような、圧迫による皮膚の炎症の悪化により4か月の入院をすることになりました。なので、今ここであきらめたくはありません。
四六時中付きまとう神経系の痛みに加え、圧迫された皮膚の炎症は、本当に辛いです。
私は麻痺からの二次的な合併症を沢山持っていたので、「自分がまるで二次的合併症の看板男」になった気分になります。恐らくこれが、私がこれまで麻痺治癒について書き続け、啓蒙活動してきた理由でもあるのではと思います。車いすで幸福な人生を歩む事は、麻痺を持った多くの人々にとってはとても難しい事だと、私の経験から感じます。
麻痺を持っていても、私たちが出来る事すべてを見せることは素晴らしい事だと思います。でも、問題なのは、私たちは他の人とまったく変わりないと世界へ発信している事は、実際には本当の真実を伝えている訳ではなく、またその大きな嘘が、おおくの人々に、治癒はそれほど緊急を要する事ではないと思わせてしまっているのではないでしょうか。本当に緊急を要しているのです。
麻痺を持つ人への、超人的特徴に集中する事は、麻痺による合併症または、損傷の原因や程度により、本当に些細な事すらも出来ない人を傷つけます。私たちのように、普通の幸福な人生を送れない人たちは、原因は麻痺ではなく、自身にあるのだとだんだん自分を責めるようになります。数年前、私が投稿したブログ記事「肝硬変リサーチにテキーラショット」の中に、CBCプログラムのリンクを張りました。そのビデオには、人々が、私が今ここで言っている、全く同じ事を話あっています。どうぞ観てみて下さい、きっとメディアが注目する人々に対する印象がガラッと変わるでしょう。
もし私が麻痺の為の治癒を求めているのは、車いすなしの自由な生活が無理だと分かっているからだとしたら、多分私は治癒の為に、挑戦し続ける必要があるでしょう。「多分、私は」というのは、私が今この現時点で約束出来る事ですが、もし他にも複数の「多分、私は」という人が集まってくれたら、きっと治癒へもっと近づける事が出来るのではないでしょうか。
Translator: Kawazu Kazuyo
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